台湾出産記

台湾出産記/末っ子は今でも小学生/愛のムチで頑張れる!

「お芋蒸したのは、もうカバンに入れたんだよお」

あれからもう2年。

2019年の今頃、ビザが整ってすぐに主人を追いかけて台湾に引っ越し、
1週間もせず日本から送った40数箱の段ボールが借りた1ルームの部屋に届けられ届けられたのです。

ひとりで朝から晩まで段ボールを開いては捨てて、片付けてを繰り返すこと3日間。

 

なんとか暮らせるようになったのも束の間…

「来週、トシコ呼んでみたから遊んであげてね!(にこっ)」

呼んでみたって軽く言ってくれるが、電車で何時間かの距離じゃない。
義理ママ(トシコ)、65歳で初めての1人海外だったのです。

義理ママのパワーには本当に尊敬します。

行動力の早さと言ったら、会社の上司だったら飛んで喜ぶくらいの動きの良さで、
聞くところによると、トシコ初孫誕生時には夜中に連絡を受けてから、嬉しさのあまりその足で3時間車を走らせて病院に向かったというのです。

私たちは料理が共通の趣味だから、物珍しいものを作ったら写真を送ると
必ず次の日の食卓に並んだ写真を返信してくれる。

流石の行動力です。

しっかりしていて、でも大体抜けているのがお茶目で可愛い義理ママです。

飛行機は直行便なので安心はしていたものの、日本から持ってきて欲しいものをたくさんお願いしてしまったし、考えたら手荷物の規定や持ち込み制限品、到着時の申告書の書き方はやはり不安だと思い、出発日の早朝に電話をかけた時の第一声があれだったのです。

 

「お芋、蒸したのはカバンに入れたよ、あとは牡蠣も蒸したんだけどジップロックでいいよね?」

「牡蠣…」

手作りのもので育ってきた息子は純粋に嬉しいと言うけれど、一般的には初海外で言葉もわからないとなれば1番持ち込みが怪しいシーフードは持ってこようとは考えまい(笑)

持ってこなくていいよ、と言うかと思ったら、

「調べるから待ってて」と息子は言うのです。

”ほーう、そうきたか。” 内心の私が叫んでいました。

台湾税関のホームページ、他にブログに挙げている人がいないか調べに調べたけど、はっきりわからないので、検討の結果、台湾空港税関に直接電話しました。

「シーフード?うん、おっけーおっけー」

とんだ忙しい朝になったのですが、義理ママはお土産をたんまり持って無事に飛行機に乗りました。

”そうだ、やっぱりこの家の人はみんな優しいんだった”

美味しいものを息子に持っていきたいという義理ママの気持ちと、その優しさを軽くあしらわない息子の愛の深さが私には嬉しい朝でした。

 

今となってはその行動力が唯一の台北ハウスの来客になるなんて…

台湾のコロナ対策は世界に例を見ない成功例になりました。公共の乗り物に乗るときにマスクを必ず着ける、2年経って感染者大爆発になっても、指揮センターのおかげで抑え込みに成功しています。

ストレスがないと言うわけではなく、いつでも帰れると思っていたから日本にはもう2年以上帰っていません。

そんな中、第一子の妊娠

 

転勤族の主人と結婚するなら“家族はどこに行っても一緒”こう決めているし、可愛い我が子を主人と2人で見つめていきたい。日本に帰って産むという考えは、私からちっとも出てこなかったです。

それでも日本で暮らす家族の方が気を揉んでくれ、5ヶ月をすぎた頃、戌の日はどうする?という話になりました。

 

「戌…」

リサーチ不足・なんでもギリギリ三女の間抜けな回答。

 

「まった、あんたはぁ」

 

やっちゃった時のマミーからのいつもの責められワード(笑)

 

それでも末っ子は「だってさぁー」で甘えて助けを求める、これが私のいつもの立ち位置です。

 

高校生の時、就職で先に家を出ていた姉のもとへ1人で電車で向かうことになった時、

「チケット買えるの?」とマミー。

流石に耳を疑がいましたが、私は未だマミーの中では小学生のままなのです。

大学生のある時、私は何年生になったか聞いてみたら、

「小学生は卒業したかなあ」とマミー。

実年齢と8才程は追いついていない…(笑)

 

「戌の日」の腹帯は、日本で祈願済みのものを送ってくれることになりましたが、それは台湾に日本の神社や戌の日祈願の風習がないので、ね。

これは甘えではない…

はず

 

我が家族の結束力には絶対の自信があります。

大きな出来事には必ず家族全員でサポートしてきて、3姉妹、皆いい大人になって結婚もしました。それでも毎日グループラインでとんでもないマヌケな話を共有して楽しめるのが私たち。

長女も海外に住み、初めて出産するときにはワーキングホリデー中の私が彼女の元へ派遣され、2ヶ月共に暮らしました。

貴重な1年間のうちの2ヶ月は結構痛かった…

「私が行ってあげられないから、よろしく頼んだよ」マミーはそう私に言い、言われたからには行くしかないので、文句たらたら向かったのですが、結局は大きな支えになれて満足して2ヶ月を過ごしたのでした。

「そんなもん、しょうがないじゃん」

不本意な180度の計画変更にも

“壁にぶち当たったら責めるよりも、よりいい案を考える”

これが我が家のスタイルで、大きく構える我が家のマミー。

いつも何かしら改善点を指摘され、一発で花丸100点なんてもらえません。
”その改善点は自分が妥協した点”ということは、マミーは全部お見通しなのです。

小言を言いながらもそこにはいつも愛があるんです。
愛に守られたままでいたい、でも自立した姿も見せたい、マミーに追いつくにはまだまだ100年くらいかかっちゃいそうです。

 

マミーは愛は深いと褒めちぎったけれど、決して甘やかしてはくれないのです。

台湾には出産後の妊婦が養生するための産後ケアセンター“月子中心”という施設があり、多くの人は大金を払って入るのですが、それほど産後のママが休養することに絶対的な権利が与えられているんです。

”またやってしまった…”ある日の私です。

きちんと納得するまで話を聞かず、人任せにした私が悪いのだけれど…

台湾人の友達に聞くと、妊婦手帳(日本の母子手帳のこと)を貰ったら出産予定日に合わせて人気の産後ケアセンターを押さえることが重要らしいのです。

私ときたらこの4ヶ月それを知らずにきてしまい、慌てて日本語が使えるというセンターの空きを確認すると、すでに空室がないと言うではないですか。

”ひとりで主人と協力して自宅で頑張るしかない”
日本で産むなら日本のママは自宅で頑張るものだし…
そんなことをマミーに話していると、

30歳にもなろう私、久々にしっかりと怒られました。

「まった、あんた。ぼーっとしてたんでしょ。中国語1年勉強してるんでしょう、日本語対応がないところもきちんと調べなさい。翻訳機だって、携帯だってなんだって使うの。日本語を使うことばかりに流されちゃダメ」

子は素直に中国語と闘って、5時間をかけて他のセンターの参観予約を取り付けました。
これ見よがしに参加予定リストを送って、私の名誉挽回を図ります。
かえってきた言葉は、一言、

「ひとりで頑張らんで良し」

やっぱり自分が駆けつけてあげられない気持ちで、子を鼓舞するのだなあ…
私はいくつになってもまだまだマミーの子なのです。

我が子を産んで、尊敬してやまない母のようになれる日がいつか来るだろうか。
私はマミーの中でいくつにまで成長できただろうか、今でも小学生のままなのでしょう。

台湾での出産は色々とドラマはありましたが、不思議と大変さはなかったです。

深い愛が私をどこからでも見ていてくれる自信があるし、そして同じく愛情たっぷりで育った主人も側にいるから、きっと大丈夫と思えたんだと思います。

日本から少し遠い台湾で、夫婦2人、
思いっきり育児、楽しんでいます。

 

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